意図的に自分の人生を創造する生き方。

意図的な現実創造について

自分が自分の人生の創造者ということ。

こんにちは、はなこです^^

私は2015年頃から、心の内面や思考が現実になる、ということに興味を持ち、NLP(神経言語プログラミング)、潜在意識のことや宇宙の法則(引き寄せの法則)などについて学び続け、自分の日常生活の中で実践することにチャレンジしてきました。

初めは、魔法みたいで楽しい!現実が、自分でクリエイトできるなんて!というそれまでに感じたことのないようなワクワク感で心惹かれました。潜在意識や心に秘められた無限の可能性を感じたのです。そして、自分自身が実践する中で、実際に、まるで魔法のような楽しいことや素晴らしいことがたくさんありました。

例えば、スーパーに行った時に美味しそうな味醂を使った卵焼きを見つけて、食べたいなあ、と思いつつその時は買いそびれて、次の日に近所のコンビニに行ったら同じような味醂を使った卵焼きが新商品として発売されていたり(笑)、一緒に創造的生き方を実践している友達とたくさんシンクロがあったり、仕事の中でも魔法のような素敵な事があったり、それらは本当に楽しいものでした。

一方で、自分が辛いなあ、変わったらいいなあと思っている現実について、そこから自分自身が気付きたかったことや、それらをどうやって前向きで幸せな方向に変化させていけばいいのかが少しずつ見えてきて、初めは半信半疑だった、「自分の人生経験は自分自身で創造している」ということが自分の中で明確になっていきました。

身体の不調で長年悩んでいたものが良くなったり、家族や人付き合いについての悩みごとがなくなったり、自分自身がより元気で明るくなり、心が満たされ豊かになったことで、現実も本当にどんどん平和に、楽しいものになっていきました。

そして、自分の人生を意図的に創造する、ということは、その現実で起こることから感じる楽しさすらも超えた喜びを感じるところに醍醐味がある、と最近は思うようになりました。

それは、どんどん「自分という存在」の本質を知ることが出来ること、その過程で自分を無条件に愛することが出来るようになってくること、そして、次第に現実に捉われないとても力強い自分、心が自由で、生きること自体を楽しめる自分に、楽しく自然に成長していくことができる、ということです。

「自分という存在」の本質を知るということ。

ただの「自分」ではなく、「自分という存在」、という表現をするのは、今自分が認識している自分と、より本質的な自分が必ずしも一致していないからです。

自分が認識している自分は、例えば時間や、時期や環境、一緒にいる人などによって変化しています。無意識の中に色々な自分像があって、特に意識していなければ、外側の状況によって自分は瞬間瞬間変化します。だから、時間帯や環境、一緒にいる人などによって自分がどんな自分になるのか、まずはできる限り把握することは、自分がなりたい自分になっていくために、とても役に立ちます。

私は、これがとても面白いことだと思っています。自分は弱い、と思っていたら、弱い自分もとことん見つかりますし、自分は強い、と思ったら、自分の強い面もたくさん発見できます。自分には本当に自分が思っている以上の色々な面があることが分かってきて、その中から自分の好きな自分に焦点を当てることで、どんどんその自分が、少し時間を置いて現れてくるのです。

また、今自分がどのように自分を思っているのかを知る手掛かりは、常に今の現実にあります。現実は自分自身の鏡になってくれるものですから、今の自分はちょっと調子が良くないな、とか、今の自分は少し前よりとても成長しているな、とか、現実をただの「ニュートラルな鏡」として捉えると、今の自分の状態を客観的に知ることにとても役立ちます。

例えば、パートナーと一緒にレストランに行って、ちょっとしたことでお互いに不穏な雰囲気になったりすることがあったりします。そしたらそれが、鏡です!そのことで自分が嫌な気分を感じたら、自分はちょっと今心の状態が不安定だということを教えてくれています。私の場合はそんな時、いったん一人になって自分の感情や気持ちを整理するようにしています。感情をちゃんと吐き出したり気持ちを整理して、そして心を静かな状態になるべく整えてから、その後にパートナーと落ち着いて、なぜすれ違いが生じたのか話をすると、お互い感情に任せた喧嘩に時間やエネルギーを使わずに、きちんとお互いが何を考えていたのかを理解し合うことができます(もちろん嫌でなければ、ばーんと喧嘩しちゃうのも悪くないとは思いますが^^)

今の自分を知ることは、次のどんな自分になっていきたいかを知るきっかけになりますし、無意識の中で自分が自分のことをどう思っているのかは、自然に現実に反映される仕組みになっていることが明確に理解できるようになっていきます。

また、意図的に創造することにチャレンジしていると、自分の望みがどんどん変化していきます。心の導きというのは本当に素晴らしいナビゲーションシステムです。当初、頭で何となく計画していたこととは全く違う方向に向いて行ったりします。頭の声は大抵、最初、心のわくわくに抵抗します。そんなことしていいの?と恐怖心を煽ってきます。それでもそんな自分自身を受け入れて昇華しながら心の声に従って生きていくと、どんどんと今の自分の望みが明らかになり、そしてそれはまた変化していきます。

こんなにころころと変わっていいのだろうか…と私は何度も不安になりました^^;でも、変化することが、やはり、自然なことなのです。子どもの頃は、毎日違う自分になり、毎日違うことに興味を持つことにも、何の抵抗もなかったと思います。私も周りの子ども達を観察したりしながら、「一貫していなければならない」「自分はこういう人間なのだ」という思い込みを手放し、どんどん自分自身の望みの変化に身を委ねるようになっていきました。

変化する自分に身を委ねていると分かってきたのですが、自分の望みや興味の対象がころころと変わっていくことで、逆にその芯の部分にいる自分自身は際立ってくるのです。自分が本当は何に興味があるのかわかってきたり、自分自身の魂の本質的なテーマなどが見えてきたりします。どんどん変わっているようで、真ん中にある自分自身の本質はずっと変わっていないことが見えてくるのです。その結果、「自分という存在」の本質について、顕在意識の自分の理解が追い付いてくるのだと思います。

自分を無条件に愛すること。

自分を無条件に愛することは、私達人間一人ひとりにとって、とても!大切な人生のテーマであり、課題であり、そして自分を生きることを楽しんで行くためにとても重要なこと、幸せなことでもあると私は思います。

意図的な創造にチャレンジしながら、心の導きに従っていくと、心の導きに従って行動するために不要となった古い概念や感情が浮かびあがり、とても不快に感じます。恐怖や不安、罪悪感が出てきます。

これは、とても良いことです。とても不快に感じるものですが、でも私はもう断言します。これは、本当に、良いことです。怖れを感じたら、しめた!なのです。喜ぶべきことなのです。

何かをしたいと思い、それをするために怖れを感じたのであれば、そこに自分が喜びを感じるために何らかの条件を付けている、という証拠です。

私達は本来、自分を生きているだけで喜びを感じていい存在です。自分が自分であるだけで、幸せで、安心していて、元気です。命とは、そういうものです。従来の人間の認識を遥かに超えている純粋な愛と喜び、それが、命です。

そういう自分をわざわざ忘れて、自分が自分でいることに、何か条件を付けた、ということを恐れや不安や罪悪感は教えてくれています。

私も、親や他人を喜ばせなければいけない、という条件を自分の存在に付けていました。自分が存在することに、そういう条件を付けていた訳ですから、それをやめようとすると、現実には何も起こっていなくても、まるで命の危険が迫っているような怖れを感じるのです。それはそれはリアルに感じます。実際は、私を否定する親ではなくても、です。

でも安心してください^^その条件を自分に付けたのは自分自身ですから、これは必ずクリアできます。必ず!です。

人間の潜在意識の中には実に複雑に色々な条件が絡み合っていたりします。だから、クリアしたと一度思っても、その下に何か別の条件が残っていると、また似たような感情が出てくることがあります。なので焦らず、変化する人生の一瞬一瞬を楽しみながら、どうしてもネガティブな感情が沸き上がって来る時は、自分の中にいる色々な自分に気付いてあげて、今の自分をそのまま認めてあげて、ということを繰り返していけば、自分自身を無条件に愛することができるようになっていきます。

私は、どんな自分のことも、自分自身で愛する、認めてあげる!と決めることが、非常に大切だと思っています。そうでなければ、認めたくない自分がいつまでも無意識の中で苦しんでしまうことになるからです。親に嫌われても大丈夫、どんなに醜いと思う自分でさえも、自分自身が認める、愛する!ぐらいの覚悟が、丁度良いのです。わざわざ嫌われるような行動をとるということではなく、そのように覚悟して、自分自身を愛することができれば、現実面での自分の行動はむしろ穏やかで落ち着いたものになっていきますし、周囲の反応も、自然と、穏やかに楽になっていきます^^

現実に捉われない、自由でパワフルな自分になる。

さらに、意図的な現実創造が思った結果にならない、ということもたくさんたくさんありました。これがまた本当に、お宝の宝庫なのです!

「思った結果にならなかった」という認識と、それに伴うがっかりした感情や自分を責める感情、現実に現れる何かがなければ自分は幸せではない、という条件など、色々とお掃除してあげた方が良いものがたくさん出てくるのです。

まさに、無条件に自分を愛するための結果、それが、思った結果にならなかった時の、何より大切なお宝です。そして、思いどおりにならなかったその時は痛手に感じますが、次第にその結果の素晴らしい意味合いが理解できて、結果はいつも完璧で、自分が思っているよりもはるかに素晴らしいものがもたらされるようになっているのだと分かってくるのです。

何よりも、結果に執着しない、うまくいくことに執着しない自分が次第に育っていって、別に嫌な気分になる体験をしてもいいんだ、という余裕のある気持ちになったり、どんな結果になってもそれは自分にとって最も良い結果なのだということが分かってきます。

だから、意図的な人生創造にチャレンジする本当の価値は、「結果」ではなく、その前の「望み」と、その結果を受けて変化する「自分自身」なのです。自分の望み、意図がなければ、結局その「結果」が生じません。うまくいこうがいくまいが、その「結果」がなければ、その後の自分自身の変化・成長が生まれないからです。

そして私は、その過程をこのブログや個人セッションで、少しでもサポートできたらと思っています。「今」の自分のために、少しでも楽に、楽しく、今を幸せに生きながら人生を創造していくことが何より大切だと思いますから。

私達人間の魂は、どうやっても成長の過程を歩むようになっている、と思います。成長とは、つまり変化のことです。生命あるもの、変化しないことは絶対にできません。自然な変化が、成長です。

私は小さい頃、成長するために努力をしなければならない、と教えてもらい、自分自身そのような信念を長年もって生きていました。もちろんそれは悪いことではないのですが、私自身がそのような生き方をしてきた結果、他の人の期待や顔色を気にしすぎて、そして仕事も家事もと頑張りすぎて、自分自身が身も心もへとへとになってしまったのです。それでは、逆に成長を妨げてしまう、と気づきました。へとへとになるまでやったからこそではありますが、人生は、もっと楽しくて素晴らしいもののはずだ、人の命の価値がそんなに低い訳がない!と思ったのです。

そしてどんどん無理をすることをやめて、自分の心の導きにしたがって意図的な創造にチャレンジしていった結果、「成長」というのは本来、自然で、本当は苦しいものではなく、楽しいものだ、ということが自分の体感として分かってきました(もちろん苦しい時も人間である限りあるのですが^^;)。心の導きや身体のリズムというのは本当に完璧で、「自分のペース」というものを教えてくれます。周りと違っていても、「自分のペース」を少しずつ受け入れていくと、無理をしなくても、自分自身は自然と変化していくことが分かってきたのです。

意図的に自分の人生経験を創造することにチャレンジする生き方で私が好きなところは、この自然な成長がより楽しくできるところです^^。成長するために、と無理に自分を我慢させたり、身も心もぼろぼろにして生きるより、私にとってはよっぽど幸せで、身も心もどんどん軽くなっていくので、むしろ精神的な面での成長がぐんと早くなるのが分かりました。

変わっていく望みに合わせて、自然と新しいことにチャレンジしたくなりますし、人と関わることの素晴らしさも感じることができるようになり、そしてどんどんと、現実に捉われない、強くて自由な自分になっていけるのです。なっていける、というか本来の純粋な姿がそうなのですよね^^もともと私達はみんな、最強で、自由で、情熱的で、冷静で、素晴らしい純粋な愛のエネルギーです。

変化に終わりはないので、意図的な創造の生き方に、ゴールはありません。望みは永遠に変化し続けます。自分自身も、永遠に変化し続けます。

だから、本当に、無限なのです。無限に幸せになれる、無限に楽しめる、無限に強くなれる、無限に自由になれる、それが、意図的に創造をしながら生きる、本当に素晴らしいところです!

この記事を読んで、意図的に自分の人生を創造する生き方に少しでも魅力や可能性を感じていただけたら嬉しいなあと思います。

人間はみんな、オリジナルルートで、そしてきっと同じようなことを、それぞれが、それぞれの視点から、発見し学んでいる仲間なんだと私は思います。お互いに良い刺激を受け合いながら、唯一無二の自分を生きることを、どこまでも、楽しんで行きましょう^^

読んでいただき、ありがとうございます!

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