こんにちは、はなこです^^
今日は、人生の中で何かが想定外の結果になった時のことについて書きたいと思います。
人は誰でも自分の思い通りに行かなった経験、上手く行かなかった経験があると思います。
私達は今までそれを「失敗」だと定義してきました。
でも私は最近、それを「失敗」ではない、と感じるようになってきたのです。
なぜなら、時間が経って振り返ってみると、結局その時はそうなった方が良かったのだ、と分かるようになったからです。その時は自分の思いとは違う結果になって、「失敗」だと思ってショックを受けていたことが、後になってみたら、その時はその結果でなければ、今の自分にとっての大切な人達に出逢っていなかったり、自分そのものが、今の自分自身に育っていなかった、ということばかりだからです。
常に、その時の自分にとって一番大切なものがもたらされる。
人間の自分にとっては、なるべく平和で幸せにどんどん事が運んでほしいものです。
でも、人生にはいつも、自分が思ってもいなかったようなことが起こることはあります。
人間の自分は、そういう時、とてもびっくりしたり、ショックを受けたりします。
今まで「失敗」という定義が自分の中にあった場合、「失敗」したのだから何か自分のやり方が間違っていたのか、自分が悪かったのか、という思考に陥りがちです。
混乱して、何が悪かったのか一生懸命に原因を探したり、自分を守ろうとしたり、自分を責めたりします。
でも、本当はそんな必要はなかったのです。
人間である自分はいつも高次のハイヤーセルフ(=高次元の自分の意識や魂の自分)の自分と一緒に生きていて、そのハイヤーセルフの自分は本当に大きな純粋な愛に満ちた存在です。
そしていつも人間である自分と一緒に、大切な成長の過程を楽しんでいます。
人間である自分の意識と、ハイヤーセルフの意識が一体になってくると、この人生の成長過程を自分が本当はとても楽しんでいることが分かります。
人間である自分がその時にはとても楽しいと思えなかったような出来事さえ、とても喜び、楽しんでいるのです。
ハイヤーセルフの純粋な愛ゆえに、人間である自分の意図に沿って、今の自分にとって一番最適な結果に導かれるのです。
人間である自分には色々なこだわりや信じていることがあるのですが、それと異なる結果がもたらされた時に、「想定外の結果」だと私達は感じます。
でもそれは、今の自分にとって一番良い道を、ハイヤーセルフが導いてくれているのです。
その時の自分には、なかなかそう思えません。でも、これは失敗ではなくて、ハイヤーセルフが導いてくれた、一番良い流れなのだということを信頼すると、次第にその流れで良いということが自分にも理解できるようになってきます。
人間である自分がそこで気づくことの価値、そこで育つものの価値は、計り知れないほど大きいものだからです。
だから、想定外の結果になっても「失敗」だと思う必要はないし、むしろ上手く行っているのです。
自分を責める必要も、誰かを責める必要もないし、一生懸命に反省する必要もないのです。
自分は、自分が思っているよりも遥かに偉大で大きな存在です。みんな、そうです。
最初からずっと、ありとあらゆる体験をすることができる器をもって産まれてきているのです。
タイミングが完璧だ、ということ。
人生で起こることのタイミングというのは、いつも完璧です。
私自身、自分が自分の人生を創造しているのだ、ということを理解できるようになってから、本当にこのタイミングや順番に感動するようになりました。
私達はありとあらゆるものと繋がりを持って生きています。目に見えるものから見えないものまで、すべてが繋がっているのだと思います。
だから、全体の創造と、今の自分という存在は、いつも「ひとつ」で、常に調和のとれた完璧なタイミングで事が起こるようになっているのです。
個人の自分で一生懸命に計画したタイミングではないので、最初はこのタイミングを信頼することが不安なのですが、「タイミングが完璧だ」と信頼できるようになってくると、「今」という時間にどんな状況でも安心していられるようになってきます。
想定外の結果になった時も、タイミングは完璧です。
自分が思った通りのことが思った通りのタイミングで起こらなかったら、それはそれで良いのです。そのタイミングではなかったのだ、ということが、後になるとまたよく分かってきます。
私は、自分の思考が焦っていて、本当は自分の心や体の準備がしっかり整っていない時に、自分が思っていたことがその通りにならない、という経験を何度もしました。その時は焦っていて、不安で、そのタイミングを信頼できないのですが、それは自分自身の準備ができていないからなのです。
タイミングすらも、本当に愛に満ちているのです。
だから私達は、いつも、安心して、「今」を生きてよいのです。
本当は「結果」よりも遥かに大切なこと。
私はこの想定外の結果を経験するうちに、分かってきたことがあります。
それは、本当に「結果」はいつも完璧だし、本当は、「結果」よりも遥かに大切なことがある、ということです。
まさに、それに気づくことができたのは、「想定外の結果」になった時だったのです。
私達人間は、一人一人が、本当にかけがえのない、素晴らしい存在です。
なかなかそう思えないものですが、でも本当は、結果なんて、どうでもよいのです。
いつだって、どんな状況の時だって、今を、幸せに生きていいのです。
心の中にある「幸せ」や「愛」や「感謝」の気持ちを、いつだって感じて、心地よくいていいのです。
本当に、幸せや愛は、無条件なのです。
私は、想定外の結果になった時に、そのことが体感できました。
「幸せに生きるためにはあれが必要だ、これが必要だ」と自分が自分の中で設けていた「条件」に気づくことができました。
でも本当は、私達は、ただ生きているだけで素晴らしかった。今ここに、生きていること自体が、自分が思っていたよりも遥かに、素晴らしかった。今、吸って、吐いて、と呼吸するだけでも、とてつもない価値のある、素晴らしいことでした。愛は、ちゃんと自分の中に流れていました。豊かな気持ちも、幸せも、ちゃんと、自分の中から湧き出てきました。
いつも、今を、幸せに生きること。
そのことに比べたら、現実での「結果」なんて本当に、大したことではなかったのです。
私達の存在はそれくらい、大きくて、素晴らしくて、明るくて、強くて、とにかく無限の、愛の存在なのです。
このことを自分自身で感じることができる、体感することができる、私にとってはこれ以上に感動できることを知らない、というくらい、素晴らしいことでした。
望まない現実は、自分の望みを教えてくれる、そして自分の愛に繋げてくれる。
少し前までは、望まない現実は、自分の望みを教えてくれる、大切な役割をもっている、と思っていました。
それも、本当に大切な真実なのです。
やはり、自分にとって何が心地良くないことなのかは、それを体験することでしか、分からないのですから。
そして最近はさらに、望まない現実の価値が分かってきました。
望まない現実というのは、望む現実と同じように、自分を、より本当の自分に繋げてくれるのです。
自分を、より自分の中の本当の愛に、繋げてくれるのです。
望まない現実も、望む現実も、どちらも、何を体験しても、私は結局、自分がより深い愛を感じることを、より受け入れる方向へ進んで行く、ということが分かってきたのです。
望む現実だけに意識を合わせるのが良い、と少し前まで思っていたのですが、望まない現実も、望む現実と同じように、自分にとっては、大切な恵みだったのです。
だから、想定外の結果になっても、絶対に、大丈夫です。
それは、自分をより本当に深い愛と幸せに繋げてくれる一つの「きっかけ」に過ぎないのですから。
あなたいつも、いつでも、本当に、素晴らしい存在です。
今日も読んでいただき、有難うございました^^
はなこ